石川 優貴 × 小川卓 対談 (1)公務員からウェブマーケティングの世界へ

lak dom合同会社 代表 石川 優貴 × 小川卓 対談 (1)公務員からウェブマーケティングの世界へ

HAPPY ANALYTICSの小川卓対談企画。
第14回のお相手は、小川卓が講師・主宰をつとめる提案型ウェブアナリスト育成講座第5期卒業生、lak dom合同会社代表の石川優貴 氏。全3回でお届けします。

対談のお相手

石川 優貴
いしかわ ゆうき

lak dom合同会社代表
滋賀県庁、国土交通省、NHK、LINE、メディア事業の責任者を経て、フリーランスとして独立。SEO戦略やコンテンツ制作を軸にデジタルマーケティング支援を通じて収益化に貢献。提案型ウェブアナリスト育成講座の第5期卒業生。
Twitter:@biwaco_yuki

※本対談は2021年12月上旬に感染症対策実施のうえ、オフラインで行われました。進行役はエスファクトリーウェブディレクター兼HAPPY ANALYTICS 広報のイミトモが務めます。

全3回の第1回となる今回は、石川さんが琵琶湖を綺麗にする仕事から始まったお仕事のキャリアについて伺いました。

第1回 公務員からウェブマーケティングの世界へ

新卒で琵琶湖を綺麗にする仕事へ

石川さん、生まれはどちらでしたっけ?

生まれは滋賀で、25歳まで滋賀県です。

就職はどちらへ?

滋賀県庁で、もともと環境の仕事をしたくて、琵琶湖を綺麗にする仕事や産業廃棄物の仕事などをしていたんです。それが国土交通省に研修へ行くように言われまして、初めて東京へ行くことになりました。なんてすごい街なんだと。

うるさいし、人が歩くの早いしって?(笑)

そうそう、歩くのが早いのに何故ぶつからないんだろうと不思議でしたね。

私も海外にいたから、日本の歩くスピードの早さと渋谷のスクランブル交差点を歩くスピードに愕然としたよね。あとは、みんなスマホを見て下向いていたりね(笑)

一同:(笑)

それで東京で働くようになってどうだった?

公務員って誰がやっても同じようにならないといけない仕事なので、自分じゃなくてもいいなと。自分じゃないといけない仕事をしたいなと思って色々チャンレジし始めました。

それって、いつ頃?

ちょうど10年くらい前ですね。公務員の頃に一番悔しかったのが、友だちに「公務員って9時~5時だからラクでいいよね」と言われたことだったんですよ。ナメんなよと思っていたので、ブラック企業に行ってみようと思いました。

ブラック企業!?ご両親とか何も言わなかったの?

両親には辞めた翌日に言いましたね。滋賀県に帰ってから辞めたんですけど、「明日から東京行ってくるわ~」と。「いつ帰ってくるの?」と言われて「わからへん」と。「仕事は?」と聞かれて「昨日やめた」と。

一同:(笑)

親もビックリでしょ。滋賀県で県庁に勤めるって花形の仕事に就職できたのに。

ある意味、エリートですよね?

仕事もそうなんですけど、その年に結婚して離婚して、さらに妹が結婚して出産してと家がワタワタしていたので、バタバタと言って逃げてきたという。

一同:(笑)

その後、親御さんとは?

怒られるとかは一切ないです、ただ普通に心配してくれていましたね。最近はようやく落ち着いて普通に話しますよ。

よかった(笑)

公務員からブラック企業へ

それで公務員を辞めて、何をしようと思ったの?アテとかあったの?

なかったので、まずはブラック企業に務めてみようと。それでH社へ。

なんと!

でも行ってみたら公務員時代の方がしんどかったですね。

えっ!?

私が務めていたのは結構厳しい部署だったので、月間200時間残業が普通だったんですよ。

なるほどね。実はもともとブラックだったのね。

辞める時に気が付いたんですけど、公務員って労働基準法の適用外なんですよ。辞めた時にしばらく失業手当で食って行こうかと思ったんですけど、「ないよ」と言われて、そんなにブラックなの!?と。辞めるから退職金をもらえるかなと思っていたら、10万円ほどと思ったよりもらえなかったんですよ。それで派遣でH社へ。

それだけブラックだったのに、またブラックに行ったんだね。もういいってならなかったの?

一度体験してみないと、「公務員は楽でいいよね」と言った友達に対抗できないなと。私は両方経験した上で、公務員は大変なんだぞって言いたかったんですよね。

それで回線まわりの営業?

営業もやって、もともと数学が好きだったので、全体の集計まわりとかをやって、1年くらいで辞めましたね。

それで次は?

NHKのコンテンツを海外に売る事業に。

海外に?

大河ドラマをハワイでみられるようにするといった仕事ですね。そこで動画まわりを勉強しましたね。契約社員だったんですけど、次は更新しませんとなったので、次も色々さがして、そしたらLINEニュースの動画の立ち上げ時期だったので、面白そうだなと思って、LINEニュースで動画をやりました。

動画は作成?プロモーション?

動画を編集して流すというのをしていました。例えばもともと1分半の動画があってそれを15秒にまとめる仕事とかしていました。

良いとこどりして編集する感じね。

そうですね。

海外でスタートしたSEOライティング

当時うだつが上がらない生活をしていたので、その時東京でお世話になっている人に「東京でそんなにうだうだしているなら、海外でも行けば?」って言われて、じゃぁ、台湾でも行きますかと。

一同:(笑)

当時ちょうど30歳だったんですよ。ワーホリにいけるぎりぎりの年齢ですね。台湾だったら申請すればすぐにワーホリの許可をもらえると。1年だけ台湾にいって中国語とかを勉強しながら働こうと。

すごい!

当時、貯金があったわけではないので、台湾で働くか台湾で日本の仕事を受けるかしようと。それでクラウドワークスに登録して仕事を探して、はじめはライティングから入ってSEOというものに触れて、クライアントさんと仲良くなって、分析もやってとなって、そこからGoogleアナリティクス(以下GA)を触りだしたと。台湾に行ったのがきっかけですね。

台湾でGAって(笑)

台湾時代、周りに教えてくれる人は?

いないです。だから基本、はったりでどうにかしました(笑)

わからないですからね、「できますか?」って言われたら、「できます!」って言うしかないっていうね(笑)

台湾の勢いがありますね。ワーホリということですが、台湾では仕事につかなかったんですか?

台湾では時給が100円くらいだったんですよ。さすがにきついなというのがあったので、午前中は学校で勉強して、昼からお仕事するような生活をしていました。

台湾って家賃が高いイメージがあるけど?

台北だと東京と変わらないですね。台中だと半年で30万円程だったのと、最初は居候で住まわせてもらってたので、いけるかなということで台中に行きました。

一年行って日本に戻ってきて、SEOの仕事でお世話になっていた方が「一緒にメディアやりませんか?」と誘ってくださって。私がライティングで携わっていた会社に事業責任者のような形で関わらせていただくになりました。

それって何年くらい?

当時共起語をやったら上がるころ、2015年ころですね。メディア事業が成り立ったころですね。

ちょうどオウンドメディアが出始めて、いけそうな雰囲気があった頃ですね。どんな分野を?

「〇〇おすすめ」の記事で美容系やアプリ系をやってました。当時はまだYMYLとかなくて。サイトが300万セッションまで成長したので卒業しました。卒業したというと聞こえがいいんですけど、実際は方向性が合わなくて・・。私は数字を達成したいから、今期もう少しがんばったら達成しそうというところではがんばりたい。でも私以外は、今は数字ではなくて協調性を大事にしたいと。

おれはブラックでやってきたんだぞ、これくらいやれよ!と(笑)

「ここのリライトやったら絶対達成するやんか」と(笑) ちょっととがっていたんですよね。そこから離れることになり、フリーランスになったのが4年くらい前ですね。

Faber Companyという共通項

今はどの辺をお仕事のメインにしているの?

最初はSEOの文脈があったので、SEOコンサルティングやちょっとしたウェブディレクションをさせてもらって。

クラウドワークスとか?それとも別のつながりで?

メディアをやっていた頃にFaber Companyミエルカを契約していて、そのご担当の方とすごく仲良くなったんですよね。当時ちょうどミエルカコネクトというサービスが立ち上がる時だったので、安澤さんが「石川さんやりませんか?」と。

小川さんも取締役をしている会社ですよね。ミエルカコネクトって何でしたっけ?

Faber Companyの出しているSEOツールでMierucaってあるんですけど、簡単に言えばそこから人材派遣のサービスを始めたんですよ。

SEOや分析でお困りの企業に対して、できる人を派遣しますので、そこでMierucaを一緒に使っていきますよというサービスですね。

ミエルカコネクトのウェブサイト(クリックするとサイトにジャンプします)

そこで石川さんは派遣される人として登録したんですか?

そうですね。当時はまだ立ち上げ当初で、まだあまり案件がなかった時期だったんですけど、私が関わっていたメディアサイトと同じおすすめ系の記事サイトで、朝日新聞さんのメディア事業でMoovooはどう?と個別に声をかけていただいて、お手伝いさせていただきました。そこがうまい具合に跳ねてくれて、ちょうどいい実績にさせていただいて、そこから拡がっていきましたね。

実績が作れたとは素晴らしいですね。

立ち上げ当初とはタイミングもよかったね。

Googleのアルゴリズム的にもタイミングがよくて、自分じゃなくてもきっと跳ねたんですけど、そこに当てられたのでラッキーでしたね。

色々つながっていますね。

下の方ですけど(笑)

私も毎月数字を見ていましたよ(笑)

ランサーズでのつながり

ランサーズも実は私の方で昨年末までコンセプトダイアグラムを作ったり先月まで勉強会をやったりとコンサル入ったりしていましたね。

伺っております(笑)

え、聞いてる?

はい、LPを作って小川さんのブランディングをどのように活かそうかとかやってます。「小川さんとこんなことをやっているんだけど、知ってる?」と聞かれて、「ハイ、卒業生です」と(笑)

なにかサービスを?

簡単に言えば、ランサーズで提案型ウェブアナリスト育成講座のミニバージョンを行ったんですよ。その第1期生を募集するのにLPを作って、実際十何人来ていただいたんですけど、先月終わった感じですね。講座を修了した人にはランサーズ上で認定バッジをつけられるというものですね。

ランサーズ内の認定ウェブアナリスト(画像をクリックするとジャンプします)

いいですね。

提案型ウェブアナリスト卒業生のみなさんに相談しようと思っていたんだけど、ランサーズに登録する方がいたらHAPPY ANALYTICSの提案型ウェブアナリスト育成講座の卒業生だというタグをつけないかという話もきていますね(小川注:こちら無事に決まりました)。

そんなことをしていたとは!

ランサーズはHAPPY ANALYTICSのロゴを作るときもランサーズでコンペしましたし、今作っている新しいサイトのロゴもランサーズで今募集していますし、結構関わりがあるんですよね。

そうなんですね。

ランサーズで執行役員されている後藤さんが、以前ニフティ株式会社にいらした時に案件でご一緒させていただいて、そのつながりもあってという感じですね。

フリーになって、最初はどうでした?不安だった?

めちゃくちゃ不安でした。

食っていけるかどうかですよね。

Faber Companyの人とランサーズの人に、「なんでもするんでとりあえず仕事をください」と言ってましたね。それからちょっとずつお仕事いただけるようになって、安定してきたので、法人格にして・・

税金対策というか・・・

そうですね、はい(笑) 色んなところからちょこちょこお仕事をいただきつつ、フリーランス的に働いています。

素晴らしい。波乱万丈ですね。今のお仕事はどういうことが多いんですか?

提案型ウェブアナリスト育成講座を卒業してから分析っぽいことを言えるようになって、分析をしたり、そこを起点に広告や全体を見るようになりましたね。メインはSEOですけどね。

SEOからコンバージョン、CRMへと拡大

石川さんが手がけているサイトはどんなのが多いんでしたっけ?

半分はSEOで、半分はtoB向けのものですね。

ではコンバージョンまで見る感じですね。

最近ではCRMまで見てほしいというお客さんもいて、商材が車なんですけど、ウェブ上でコンバージョンまで完結しないので、じゃぁどうやって見ていこうかという話とか。

そういうCRM周りとかもできるようになってくると、お客さん側でそのデータを見たいけど自社でできないっていうところがいっぱいいるので、いいですよね。

たしかに。

準備8割なんですよね。

そうそう。

取り込んでしまえば楽で、取り込むまでが「このデータを使っていいですか?」「これは全員入っているわけじゃないから正しくないかも」みたいなよくわからないことを言われて・・。

データがあっても取り扱い説明書があるわけじゃないじゃないですか。データの説明を誰ができるか?っていったら結局だれも出来ないので、それを一から自分で調べなければいけないと。

どういう時にここに値が入ってくるんだと。このイベントって何ですか?とか。

ですよね(笑)

それは大変ですね。


以上、第1回となる今回は石川さんのキャリアについて伺いました。お仕事の幅がかなり拡がったようですね。次回は提案型ウェブアナリスト育成講座について、深く話を聞いてまいります。

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